秋葉山(アキバサン)詣り

山梨市駅から南東へ約三キロ程行くと、下粟原という部落がある。この下栗原に、明治の初年頃大火があった。消火作業は大八車にポンプを乗せて引っ張り、川があると、橋のある所まで上るか下るかして渡り、火事場に行かなければならない時代である。家は木造、屋根は茅ぶきのため、火事になると火を出した家はもちろんのこと、飛び火で部落中が焼けてしまうということも珍しいことではなかった。火事は総てのものを灰にしてしまう。下票原の部落を悪魔のようになめつくす火を見た人々は、きっとこれは何かの祟りだと言いあい恐れおののいた。その頃、上粟原に皆から正直者といわれていた大沢七蔵という人が住んでいた。下栗原の大火の数日後、七蔵は、「俺ぱ夢を見た。近々上粟原も大火になる。早く秋棄山にお詣りしてお札をいただいてこなければ、恐ろしいことになる。上粟原を守らねば……」と言い出し、毎日朝から部落中を叫んで歩き回った。そのうちに七蔵の顔は真っ青になり、容貌はだんだん凄くなってきた。そして、まるで狂人の形相となり、益々大声で「秋葉山詣りを!」と叫び回った。人々は七蔵の変化に鷲き、又、不思議に思いながらも、大火の心配もあるので相談をし 、皆の代表として七蔵を秋葉山へ代参させることに決めた。道中のお金を工面し、旅支度を整えさせ、朝早く、皆で励まして出発させた。七蔵は舞うように駆け出した。遠州秋葉山へは普通四〜五日はかかるというのに、翌朝夜の明けぬうちに、「七蔵は代参をすませて只今帰って来ました。皆さんへのお札をいただいてきましたので、早速お集まり下さい」と、大声で村中に触れ回った。道祖神場に集まった人々は、衣類は破れてはいるものの特に疲労のようすもない七蔵を見て驚いた。「皆さん、このお札を家に持って帰り祀って下さい。これで決して上粟原には火事はおこりません。救われたのです。」と言った。話し終ると七蔵はいつもの穏やかな真面目な顔になり、ニッコリと微笑んだ。このお札のおかげで、その後上粟原には大火はない、と言われている。「アキバサン」又はこの辺りでは、「アキヤサン」と呼んでいる秋葉山は、秋葉山本宮秋葉神社といい、静岡県周智郡春野町の南西端、龍山村との境界にある標高八六六メートルの秋葉山頂にある。火之迦具土神(ほのかぐつみがみ)を祀り、古くから火防(ひぶせ)の神として知られ、広く信仰を集め全国に多数の分社がある。単独で祀られて いることもあるが、多くは神仏混淆(神と仏、菩薩とを調和、融合させて同一視すること)でお寺や八幡宮などと一緒に祀ってある。近くでは、塩山の向嶽寺が秋葉山として知られている。昔は火事や盗人が多く、お札をいただいてくると家の屋根棟に張りつけ、盗難除け、防火の神として祀り拝んでいた。偉大なる自然の不思議なもの、神秘的なものに対する信仰心からいろいろな神(お水神さん、大石さん、地神さん、お火神(こうじん)さん等)がつくられ、拝むことにより災難が避けられると信じていた。身近にある自然への畏敬の念から、それらをお祀りして災難除けとしたもののひとつが、秋葉山だと考えられる。