首地蔵の話

鎮魂と供養

私の名は首地蔵という。みな、私を見ると異様な姿にまず驚く。手も足もなく、首だけが広さ六帖敷、高さ二、三メートルの巨岩の上にチョコンとのっかっているのだから……。なぜ、こんな姿の私が首地蔵と呼ばれるようになったのか、由来を話して聞かせよう。何しろ、大昔のこととて、私もすっかり年をとってしまったから、細かいことは忘却の彼方なのだが…。けれども、私の胸の内には、あの時の悲しい思いが、今でも、まざまざと甦えってくる。差出の磯で、笛吹川にそそぐ兄川、その渓流を遡のぼること車で十分ほどの「水口」という部落の中心に、私は座るっておる。周りは、のどかな山村で背後に険しい山が追っており、この山が、ある日大あばれしたのじやよ。何百年も前の夏、この辺り一帯はひどい日照りに悩まされた。村人たちは、じりじりと照りつける太陽をながめては、溜息をついて「ああ、お天道さま、少し遠慮して三日ぱかり雲に隠れておくんなせえ。雨の神さんをこっちへよこしてくりょう。お願えだあ!」来る日も来る日も雨乞いをした。だが、いかに真剣に祈ろうとも、ちっとも空の様子は変わらんのじゃ。米も粟もひえも、何もかも、だんだん枯れはじめてしもうた。 すっかりあきらめきったある日のこと、西の空がみるみる暗くなったかと思うと、ポッリポッリと冷たく降ってくるものが……。「おお、雨じゃ雨じゃ!雨が降ってきたぞォ。」みな家からとび出して大喜び。「何でも塔の山で、修験者が雨乞いの祈願をしておいでになる、との噂じゃが、霊験あらたかなことじゃて、ありがたや、ありがたや。」雨は数日降り続き、カラカラに乾いた大地や作物は、喉をうるおすかのように、たっぷりと水を吸い込んだ。ところが、雨のあがった朝のことじやよ。この水口村の裏山が、突然、ドドーンという大音響とともに石や土砂が崩れ落ちてきて、あっという間に数軒の家を呑みこんでしもうた。そして、赤子を背負ってお守りをしていた、おみよという十二才の女の子が逃げる間もなく、落ちてきた大石の下敷になってしもうたのじゃ。この出来事で、村は悲しみにおおわれ、また奇妙なことが次々に起こった。夜になると、何かにおびえたように赤子が泣き続けた。子どもたちは、夜中に突然とび起きて歩き回ったり、急に座りこんで何かを凝視する仕草などをして、人々は次第に恐怖におののくようになり、畑仕事もろくに手につかんようになった。「たのもう、この あたりに一夜、宿を貸してはもらえぬか。」と、旅の僧がいずこからともなく村人の前に現われたのは、そんなある日のことじゃ。見るからに疲れ果て、みすぼらしい身なりじゃが、大い眉毛の下に慈悲の光をたたえた眼はやさしく微笑んでいる。ある家であたたかくもてなされ、ぐっすり寝入ったその夜更け、僧は何かの気配に目を覚ました。「これはきっと、石の下敷きになった子どもが、成仏できずに苦しんでおるのじや。安らかな冥福を、私が祈ってしんぜよう。僧は、石を刻んで頭の形をつくり、その大石の上にのせた。「これは、村の地蔵善薩じゃ。よくよく供養すべし。」と、村人たちに論してお経をあげると静かに立ち去った。おみよと赤子のはかない定に、人々は悲しみをこらえ毎日線香や花を供えるのを忘れなかった。再び村に平和が訪れた。赤子は泣き止み、子ども達も安眠できるようになり、大人たちには明るい表情がもどっ秋のマラソンシーズンには、私のかたわ傍らを小中高生が赤い顔をしてひたすら走りぬけてゆく。私の悲話など知る由もないかのように……。私は、ただ子どもたちを見守っている。「頑張れよ。無事に完走しろよ。」と…。