牛見堂の伝説(牛体石)

今から五百数十年程前に、塩山市の向嶽寺が創建された時、門を入いると正面にある塩練塀(県の文化財)がつくられました。この塀は、土と塩を混ぜて塗り固めた、全国的にもめずらしいものです。塩にはニガリという成分があり、豆腐など作る時や、運動場の土を固めるのに使われますが、厚さニメートル、高さ二・五メートル以上、長さ三十メートルもある大きな、塀をつくるためには、沢山の塩が必要でした。その塩は塩かますに入れられて牛の背に結わえられ、勝沼を通り、昔の休息村を経て重川の清水(今の東後屋敷)あたりを渡り、塩山へ運ばれたと言われます。当時は今のような立派な清水橋ではなく、丸太を二つ、に割ってそれを互いに寄せ合わせ、穀けたものであった為、洪水になるとすぐに流されてしまい、その度に、休息村と東後屋敷とで交代に人足が出て修理をしていました。時には市川大門までも流され、地元の人達が川岸へ引き寄せておいてくれた橋材を縄で結び、川に浮かべて、エッチラ、オッチラと川を登ってきたこともあり大変な仕事でした。その後、橋材に八番線の針金を結び付けて、川岸にある樹木や大きな石に織り付けておいたのですが、それでも時々針金が切れて 流されてしまうことがあり、随分と骨析ったものでした。そんな橋ですから、塩を背負った牛など危なくて通れないため、川の浅瀬を捜して渡っていました。ある時、一頭の牛が川の中で石につまずき、倒れてしまいました。何分にも背負っているのが塩のかますですからたまりません。塩は水を吸って、何倍も重くなり、いくらもがいても牛は立ち上がることができずに、ついに溺れ死んでしまいました。後屋敷の人達は、死んだ牛が衰れでなりませんでした。懸命に働いたあげく倒れたその牛に、人々は感謝の真心をこめて牛が腹ぱいになって眠っているような大きな石を捜し、小さなお堂「牛見堂」を創建し、これを祠りました。このお堂は、東後屋敷の木之宮神社の東南二百メーうしトル位の道沿いにあります。毎年、正月の初の丑の日にお察りをして、牛の霊をなぐさめています。動物の命まで大切にした昔の村人のやさしい気持ちを今に伝える村の伝説であります。