今の山梨市下井尻の誉田別(ほんだわけ)神社西方にある中組地区を南北に貫く道端に、ちょっと気づかないが、普通の大きな六地蔵とは形の違う、小さな六地蔵が建てられている。この六地蔵は、高さが一メートル四○センチ位で、下部は直径三○センチ位の太さの自然石で、高さは七○センチ位ある。この石の上に、六角形の大きな刻(きざみ)石の台座があり、その上に六地蔵がのせられ、さらにその上に六角形の笠型をした大きな刻石がある。いつの世に、講が建てたものか、今のところ、講も知るよしもないが、ただ昔より「夜泣き地蔵」と呼ばれ、道行く人は必ず両手を合わせ、ひざまずいてお祈りをするのであった。さて、昔のこと。一人の六部(全国六十六ケ所の霊場をめぐり、仏の愛を慰める旅人)が、いくつかの霊場めぐりの途中、この地区の空地に小さな小屋を建てて住みついた。そして、人々に人間の正しい生き方や、仏の教えなどを熱心に説教した。そうしている内に、いつしか地区の人々の間にはあたたかい親しみの心が湧きあがり六部ぱ、地区の人々の信頼と尊敬の的となっていた。ある年のこと、ひどい疫病(赤痢)が漫延した。地区の人々も幾人か死んだが、六部もまた、こ の病にかかり、はかなくも世を去ってしまった。村人たちぱ、彼の死を大変悼み悲しんで、地区の一角へ手厚く葬り、仏供養の六地蔵を建ててその冥福を祈った。この六地蔵が建てられてからは、不思議なことが起こった。それは、村内に不幸があった夜、六地蔵がまるで泣くような声でお経を唱えている姿が見られ、夜更けまでその声が間こえたといわれている。その後、誰いうともなく「夜泣き地蔵、経読み地蔵」と言うようになった、と今に伝えられている。さらに、よく見ると、六地蔵の台座には、幾つかの小さなくぼみがあり、その穴にたまった雨水は眼病の薬になった、と語り継がれている。毎年三月には、近在の人々が集まり、お経を唱えて六地蔵の供養をする慣わしがある。